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「元号」― 兜町カタリスト櫻井英明のここだけの株話

「元号」

新元号は「令和」に決まりました。
出典は、万葉集 巻五の梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序。
天平二年正月、大伴旅人が国司や高官を招いた宴。
その時に、出席したものたちがそれぞれに、梅を題にして歌を詠みあったそうです。
「天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く」。
「時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す」とのこと。
万葉集の中の漢文が典拠というのは絶妙という気がします。
何はともあれ「安」が入らなかったことで「安い」が連想されなくて良かったです。

1989年1月7日(土)に昭和天皇が崩御。
その日に「平成」という新元号が発表されました。
1月9日(月)の日経平均株価の終値は前日比469円高の30,678円。
その後、5日間の上昇幅は1,088円でした。
その後は、情報通信システムやエンタメ業界が好調な展開。
同年12月29日の大納会の最高値38,915円まで突っ走ったのが歴史。
想像ではなく、暗記で勝てるAIならばそれくらいの歴史は学習していることでしょう。
興味深いのは4日目の1989年1月12日。
前日、11日の日経平均株価の終値は31,143円45銭。
翌日、12日の日経平均株価の終値は31,143円45銭。
前日比0円00銭で変わらず。
計算間違いではないと思いますが・・・。

ともあれ新元号は「令和」。
元号と株価の関係は、というと・・・。
戦前の株式市場の指標だった「東京株式取引所(東株)」の配当込み修正価格指数の推移。
東株上場から明治終了の1912年7月までの34年間で約1280倍。
大正(1926年12月まで)で約6倍。
昭和は1943年までに約3割の下落。
1949年の東証再開以来のTOPIXの推移。
1989年1月までの昭和時代には配当を除いても約120倍。
平成の30年間では、配当を含めても約3%の値下がりでした。
明治「◯」、大正「◯」、昭和戦前「☓」、昭和戦後「◯」、平成「☓」の流れ。
順番ならば令和は「◯」のハズですが、順番やアノマリー通りにいかないのが株式市場ですから。

10年前に書いていたこと。
・・・・日本の昭和平成バブル。
起こったことは無秩序野放しの信用創造でした。
主役は、株と不動産。
1980年代、日本の企業は力を付け始めました。
諸外国、特にアメリカは経済衰退で青息吐息。
そこで起きたのが、円高誘導。
1985年、ニューヨークに各国首脳が集合しドル高是正(日本にとっては、円高)を決めました。
起こったことは低金利・金余り。
行き場を求めたマネーは、株と不動産に向かいます。
当時、東京電力の株価は1万円手前まで、何億円もするゴルフ会員権が頻繁に取引されました。
各企業もこぞって投資活動を活発化。
「財テク」という言葉に代表されるように、本業の利益を遥かに超える収益が転がり込みました。
三菱地所はアメリカ人の魂ともいえるニューヨークのロックフェラー・センターまで買ってしまいました。
結果的に数千億円の損失となりましたが、これがバブルの絶頂。
同時に1989年12月、日経平均株価は38,915円まで上昇。
市場関係者は「東京23区を売れば、アメリカ全土が買える」と豪語。
東京湾に面した土地を持っている企業は「ウォーターフロント銘柄」として次々に値上がりしました。
ただ、土地をもっているだけ。
それでも買う人が途切れませんでした。
まるで神話のような時代。
でも、長くは続きませんでした。
翌1990年から株価は理由もなく強烈に下がり始め。
まずは半分に。
それからまた半分に。
後から考えれば、日経平均株価に先物が導入されたところからおかしくなり始めたということかも知れません。
もともとバブルでしたから、ほんの少しのきっかけさえあれば萎むのは当然。
欧米からの要請もあって開設した日経平均先物市場で、外国人投資家が徹底的な売りに回ったのですからたまりません。
株が下がる、不動産が下がる、銀行がお金を貸さなくなりました。
お金が回らないから企業は設備投資をしませんし、個人は消費を控えるから景気は悪化。
景気が悪化するから、失業者が増加。
この連続で最終的には銀行もいくつかつぶれ、不動産は大きく価値を下げ、景気は低迷したままというのがバブル崩壊。
これが約20年続きました。
1929年の世界恐慌や2008年のサブプライムローン危機も構図は一緒。
いいお手本は日本経済の歴史にあったことになります。
お祭りの渦中では、やはり物事が見えなくなるということでしょうか。
おそらく、次にどこかでバブルが発生した時には、多くの人は教訓を忘れ、また踊るのでしょう。
もっとも、それが人間の本質である限り、治癒はしないようです。
因みに、リーマンショック後の2009年3月、とうとう日経平均株価のPERは算定不能になりました。
理由は225採用銘柄、全体で赤字のため。
実に7年ぶりの「-」(横印:ハイフン)。
日経300のPERは189倍でした。

一部市場関係者の指摘が残っています。
「外国人はリーマンショックの2008年9月から2009年3月まで、7ヵ月連続で日本株を売り越し。
ところが、2009年4月は2週連続の買い越し。
背景はキャッシュの一部をリスク資産市場にシフトさせるヘッジファンドの動向」と。
そして、「全米個人投資家協会の集計ではブラック・マンデーの翌月以降、3月の個人投資家の現金(短期金融商品含む)比率が過去最高の45%に達した。
一方で株式・同投信は41%と過去最低を記録した」との指摘。
そんなことを忘れかけて現在があります。

「39年」

証券界に足を踏み入れて満39年。
こんなに長く棲息するとは思いませんでした。
大学のクラブの先輩の「ノルマがあるから面接に来て」とのお誘いの電話があったのは入社前年10月3日。
当時は10月1日が面接解禁日でした。
10月5日に面接へ行ったら「では、健康診断を受けてください」と即内定。
こんないい加減なことでいいのかと思ったら、卒業間近の3月になって、その先輩氏。
「他に行くところはないのか」。
ある訳もなく4月1日の入社式の社長訓示は、「君たちのうち半分はすぐ辞めるだろう」。
なんという会社だと思いましたが、それでも京都支店からスタートして20年あまり居たことになります。
3日間で辞めようと思いましたが踏みとどまり、3ヵ月目にも辞めようと思いましたが頑張りました。
毎月、先輩の送別会があるという異常な世界。
そんななかで大手証券の京都支店というのは、いわゆる大店だったのが幸いでした。
新人3名の数字などはほとんどあてにされていませんから、東京や大阪にある小店と比べると天国みたいなもの。
3年経ったら営業成績も結構上がり、辞めようなんて気は消えましたから不思議なものです。

ここ20年ほどは、それこそ相場べったりの世界に入り込みました。
思うのは「浮沈」ということ。
誰かが儲かる裏側に、誰かの損があるということ。
それは、売り買いという時間を区切って見るからでしょう。
もし時間を区切らなければ、相場は利益と損失を常に連綿と先送りして継続している世界。
永遠のものということです。
損はある時に益になり、益はある時に損になります。
同じ株を相手にして儲かる人と損する人がいます。
無数の参加者が世代を越えてペイフォワードしているのが相場。
そして、そのペイフォワードの世界の結末がないのに、時間を区切るから、いつも損益計算が行われます。
もしも「相場はペイフォワード」と考えられるならば、こんな幸せな世界はないでしょう。
そんななかでの浮沈など、所詮小さいこと。
そう考えられるためには40年近い時間が必要だったとも言えます。

 

櫻井 英明(さくらい えいめい)
ストックウェザー「兜町カタリスト」編集長

日興証券での機関投資家の運用トレーダー、「株式新聞Weekly編集長」などを経て、2008年7月からストックウェザー「兜町カタリスト」編集長。
幅広い情報チャネルとマーケット分析、最新経済動向を株式市場の観点から分析した独特の未来予測に定評があり、個人投資家からの人気も高い。

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