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伊藤元重教授に聞く「ビジネスエコノミクスにみる日本の競争力と未来」前編

具体的な企業活動や産業事例を織り交ぜながら、実体経済についてアカデミックな分析を行うビジネスエコノミクス。この新たな経済学の潮流は、まさに経営者のための経済学として、多くの感度の高いビジネスパーソンに受け入れられています。今回はビジネスエコノミクスの第一人者である東京大学名誉教授であり、学習院大学国際社会科学部で教鞭を執る伊藤元重教授にインタビュー。ビジネスエコノミクス的に日本経済を見るポイントについてうかがいました(このインタビューは2017年11月13日に行われました)。

ビジネスエコノミクスとは

――まずはビジネスエコノミクスとはどういうものか、ご説明をいただけますでしょうか。

伊藤氏:経済学という学問は、特にアメリカにおいて非常に幅広く、普通の言語として使われていますから、政治経済、マクロ経済、ミクロ経済などを用いて、神羅万象すべて、そこから分析できるわけですね。そういった学問のなかで、ビジネスの世界で日々起こっている出来事や生まれてくるモノについて、経済的な思考を使って考えると理解できることもありますし、一方で、ビジネスを素材とすることでより経済学が理解しやすくなります。その両面から強調したのがビジネスエコノミクスだと思います。

この、現実的な経営やビジネスを経済学に置き換えて考えるという手法は、アメリカでは非常にポピュラーで、例えばハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーターという、世界でもっとも有名な戦略論の先生がいるのですが、彼がやっている経営戦略論は、経済学的思考をそこに入れることで、これまでよりも鋭い指摘を提供することが可能となったのですね。学生にしても、やはり実際のビジネスで起こっていることは、学問としては非常にとっつきやすいんですよね。

例えば、ヨーロッパの移民問題も大切ですが、何が起こっているのかはよくわかりません。ところがユニクロの店の現場であったり、コンビニエンスストアでどういう変化が起こっているのかということは想像がつきやすいですから、それから少し深くモノを考えていこうとしたときには、このビジネスエコノミクス的な思考というのは非常にわかりやすく、入口として入りやすいのだと思います。

――このような経済学的論理を理解していると理解していないとでは何が大きく違うのでしょうか?

伊藤氏:まず、どんな業界の人でもそうですが、自分の業界のことは詳しいですよね。競争相手が何をしているか、コストがどうなっているか、あるいはこのマーケティングを実施するうえではどういうところがポイントだとか、そういったことは皆さん、非常に理解をしています。

ところが5年、10年のオーダーで見ると、その企業の経営に一番影響を及ぼすであろうもの、例えば雇用はどうなるのか、為替がどうなるのか、あるいは景気がどうだろうかといった、要するに狭い業界の論理の外で起こっていることを見る力があるかないかということは、経営者にとって重要な話だろうと思うのですね。そういう意味で、経済を見る目というのは、特に経営者には求められるということですね。

経営者に必要なのはビジネスエコノミクス観点と高いコミュニケーション能力

――市場を見るというお話に関連して、どうして企業は商品価格の上げ下げを行うのでしょうか。根本的なセオリーについて教えてください。

伊藤氏:業界によって考え方が違います。例えば電気洗濯機は、昭和20代の初めか30年代の初めに画期的な製品が登場し、当初の値段は5万円くらいだったのですね。今はさまざまな付加価値がついていますから多少、値段は上がっているのですが、ベーシックな洗濯機は今でも5万円くらいで購入できる。要するにほとんど価格をあげていないのです。

一方でガソリン価格は、為替や原油価格を反映してどんどん動くし、ブランド品もそうですよね。例えば、牛丼チェーンも本音ではもう少し価格を上げたいと思っているのでしょうけれども、いったん決めた価格が記号化してしまうので、よほどのことがない限り、大幅に価格を上げることができません。業界によって価格を頻繁に上げるところと、むしろ上げることに対して躊躇を覚えるところに分かれているのではないかと思うのですね。

――やはり、価格の決定は消費者の顔色を伺いながら実行するかしないのかを判断しているのでしょうか。

伊藤氏:消費者の観点、企業の観点の両方があると思います。コストが非常に安いところを見つけて、それを大胆に価格に反映させるというケースもあります。ヤマト運輸がわかりやすい例ですが、Amazonなどの影響で荷物の量は増えているのですが、現状の価格体系と賃金体系ではもう回らないのです。別に会社の経営が悪化しているのではなく、価格と賃金を調整する必要があったのです。それで、今回は賃金を上げると同時に価格を上げていった、これはやはり経営者の判断だと思うのです。

もちろん、リスクは冒しているわけで、配送料金を高くするといったら反発する人も当然いるとは思いますけれど、そこはしっかり提案すべきでしょうね。価格を上げるというのは、かなり大きなミッションですから、上げるときにしっかり説明をして、消費者に理解をしてもらう必要があります。以前、『ガリガリ君』が値上げをする際に、社員が総出で頭を下げるCMを流しましたね。あれも、消費者に納得してもらうためのひとつの儀式だろうと思います。結局、価格というのはインパクトを持って消費者に沁み込んでしまいますからね。この商品はいくらだったのに、いくらになった。そういうのを記号化というのですが、イメージがしっかり出来上がっている場合、なかなか厳しいですよね。

――消費者に対して一定のイメージを与えてしまうという意味では、価格を決定するという行為は非常に重要なのかと思いますが、一方で価格競争という言葉があるように、企業間でもバランスを見ながら決めていかなければならないわけですよね。

伊藤氏:価格競争というのは、結構、複雑な構造になっています。例えば、デパートが衣料品の価格で競争しているというときには、目先のお客さまを取るためにやるわけですけれど、そのお客さんは衣料品を買うお金を携帯電話の通信料金に使いたいと思うかもしれません。すなわち、ここでいう衣料品は、他の業界と競争をしているという面もあるので、先ほどのビジネスエコノミクスの視点ではありませんが、そういう幅広い競争と目先の競争のバランスをどうとらえるのかという視点を持つことが重要になります。

また、同じデパートで例をあげるとすると、池袋には西武百貨店と東武百貨店があって、両者が熾烈な競争をしているのだけれど、実のところは池袋と新宿が競争しているのかもしれません。そうなると池袋の2つの百貨店が良い意味で競争すると、池袋全体が活性化して新宿と張り合うことができるようになります。ですから目先の競争相手は、もしかしたら非常に重要な仲間になるかもしれないですよね。そういった感覚が持てるかどうかということですよ。ビジネスシーンでは、よく“片手で握手しながら片手で殴り合う”といった表現をしますけれども、そういう視点は非常に大切ですね。

――お聞きすればするほど、やはりビジネスエコノミクスを学ぶことの重要性が理解できますね。

伊藤氏:もちろん経営者のなかには、いろいろな本を読んでいたり、いろいろな話を聞いていて、ある意味、われわれのようなビジネスエコノミクス的な視野をしっかり持っている経営者もいるのですが、他方で、そんなことをやらなくてもなんとなく直感的に理解している人がいるのも事実です。経営者として成功する方というのは勉強して身につけたのか、元々先天的なものがあるのかはわかりませんが、とにかくそういう視点を持つ経営者はやはり成功しているケースが多いようには思えます。

結局、経営者の重要な資質というのは、いろいろな判断をしたり、決断をすることだけでなく、コミュニケーション能力だと思うのですよ。自分の会社の社員の人でも、あるいはお客さまに対しても、どういう説得性を持つかということですね。今、成功している経営者、例えばソフトバンクの孫さんであったり、ユニクロの柳井さんもそうですが、非常にコミュニケーション能力が高いですよね。彼らがもちろん経済学を理解しているかどうかは別の問題として、やはりビジネスエコノミクス的なセンスも非常にしっかりしたものを持っているのは間違いありませんし、それをまた発信するのもうまい。号令だけではなかなか従業員は動きませんからね。

日本の将来の競争力を担う若者は最先端の方向に意識を向けている


――競争力の点で言えば、日本は今年発表された国際競争力ランキングで、6位→8位→9位と順位を下げています。マクロ経済環境が138ヵ国中93位という低い順位になっているほか、昨年よりイノベーションの順位が低下した。それまでは4位、5位だったものが昨年8位、今年も8位という結果。また、「MITが選ぶスマートカンパニー50」でも日本は1企業もランクインしていません。かつて、半導体を始めさまざまな分野でイノベーションを起こしてきた日本の現状と今後について教えてください。

伊藤氏:日本の競争力が強く、世界に冠たるといわれていた時代には、例えばソニーや松下、トヨタ、ホンダでもいいのですが、どちらかというと海外勢に対して、いち早くキャッチアップしていって、場合によっては結果として、少し尖った製品を市場に投入してきた、そんな時代がありました。こういったやり方というのは、非常に日本人に向いているのですよね。もちろん、世界に冠たる消費者ブランドだけでなく、鉄鋼や衣料品だって品質という面で十分な力を持っています。

今では、そういったエレクトロニクスや自動車などは、どちらかというと、韓国や中国が得意とする分野になりました。日本の新幹線をいかに早く真似してたくさん作って、コストを安くしたり、あるいは日本の半導体メーカーの人材を引き抜いて品質の良いものを作るだとか、そうやって競争力をつけてきたような気がします。ですから日本は、そういう時代からもう一歩先を行かなければならないので、やはりイノベーティブなものにしっかり取り組んでいく必要があるのですが、残念ながら現段階においては、日本の社会的な特性が足を引っ張っているようなところがあると思えます。

例えばベンチャー企業、最近はちょっと増えてきたのですけれども、諸外国に比べても圧倒的に少ない。なぜかわかりませんが、なんとなく親は大学を出たら大企業に行くと喜ぶけれど、子どもがベンチャーやっていると嘆き悲しむとか。あるいは学校で、ちょっと変わっているヤツはみんなから足を引っ張られるだとか、そういった傾向があります。かつて日本にとって、ある意味、競争力の源になっていた協調の精神やキャッチアップの精神が今ではすっかり裏目に出ているので、そういう意味では、これまでと同じ戦い方をしていても苦しい状況になっていくということだと思うのですけれども。

ただし、日本にイノベーティブな特徴がないかというと、そんなことはないわけで、そういう環境下にあっても、実に日本的なカタチで、世界に競争力を持つような分野というのは当然、出てくるとは思います。例えばアップル。iPhoneが売れて非常に目立ってはいますが、中身を見ると日本のエレクトロニクス企業の部品が採用されています。かつてはそれほど世界的に名前が知られていなかったローム、村田製作所、あるいは液晶パネルの膜については住友化学と日東電工が世界の大きなシェアを獲得しています。そういうカタチで加わって、一生懸命良いものをひとつひとつ作り上げていくというところは、これからも大事にしながら、グローバルな環境に含まれることによって、日本はある程度やっていけるとは思います。

他方で、もう少し尖った企業の登場にも期待したいですね。これはなかなか難しいのですが、最近では、少しずつ日本でもベンチャー的なスピリッツを持った若い人が増えていて、そういった方々がこれからどんどん花開いてくれればいいかなと期待はしていますけれどもね。

――なるほど。日本の教育や慣習までは変えることはできなくても、何か打開策みたいなものはないのでしょうか。

伊藤氏:東大の有名なエンジニアの先生が言っていましたけれど、東大で今、ロボットやAIなど最先端の研究に取り組んでいる学生は、日本の大企業にあまり興味を持っていないというのですね。ではどこ行きたいのか?AmazonやGoogle、Apple、Facebookのような企業かと聞くと、それも日本の企業よりは良いけれども、そんなに嬉しい選択ではないという。では何をしたいのかと聞いたら、最先端の研究に入っていきたい、チャンスがあればMITやスタンフォードにも行きたい、でも同時にビジネスをやりたい、ベンチャーにも関わりたいというのですね。それが恐らく彼らにとっての、いわゆるロールモデルとしてベストなんですよ。

彼らは自分たちの先輩を見ています。日本の企業に入っていっても、必ずしもアクティブに生活しているように見えない。外資系もいいけれど、メインプレイヤーにはなかなかなれません。一方でロボットやバイオの研究で、非常に光り輝いていて、しかもビジネスで成功するベンチャーが現れたりして、要するにロールモデルが変わってくることによって、学生たちのマインドも大きく変わってくると思うのです。元々日本の大学生は力がありますからね、そういう感覚は意外に、我々世代が考えている以上に、大きな価値変動が起こりつつあるのかもしれません。そういう意味では若い人に期待するところは非常に大きいですね。

>>伊藤元重教授に聞く 後編へ続く

伊藤元重(いとう・もとしげ)
学習院大学国際社会科学部教授。1974年、東京大学経済学部経済学科卒業。1979年、ロチェスター大学大学院経済学博士号(Ph.D.)取得。東京都立大学助教授、東京大学経済学部教授を経て、2016年4月より現職。東京大学経済学部名誉教授。テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」コメンテーターなどメディアでも活躍中。著書多数。

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